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         雑学いろいろ


地球と生命の誕生と進化

1.地球の誕生

@  ある星の最後

今からはるか昔の約48億年前、銀河系の片隅でひとつの星が命を終えました。超新星爆発です。最後の爆発と共に周りは明るく照らし出され、その残骸は吹き飛ばされ、ちりぢりになりながら宇宙空間に放たれて行きました。

 

 

 

 

 

 

大きな質量を持つ星は、超新星爆発によっていったんはその生涯を終えますが、宇宙空間に残された残骸は、新しい恒星=太陽が作られるもとになります。

僕達の住む地球の誕生以前にも、寿命を終え、爆発して消えた星があります。

その証拠となるのは、鉄よりも重い原子の存在です。

恒星が輝くのは、軽い原子が核融合反応を起こし、重い原子となる過程で膨大なエネルギーが生まれるからです。鉄の原子は最も安定しているため、恒星の核融合反応では鉄より重い原子にはなりません。鉄以上の重い原子は、星の一生の最後である超新星爆発の時にできると言われています。

 

鉄よりも重い原子が存在するということは、太陽が出来る以前に一生を終えた星が存在するということを意味しています。

生命が誕生するためには、水素やヘリウムなどの軽い原子以外に、様々な原子が必要です。かつて消えた星があるおかげで、生命は誕生することが出来ました。そして今も地球や僕たちの体を形作る元となっています。

僕達の体は、星くずのかけらが集まって作られているのです。

 

A  原始太陽の誕生

その後、その近くで星間ガスがしだいに集まり、重力で圧力と密度を高めていきながら渦を巻いていきました。台所の流しを想像すればわかりやすいですが、吸い込まれていく物質は、その過程で自然に渦を巻いていきます。

ガスは重力で圧縮しながら温度を高めていきます。そして、1000万度を超えたあたりでついに水素原子が核融合反応を始め、自分の力で輝き始めました

原子太陽の誕生です。

 

太陽は恒星の中では比較的ありふれた大きさを持った星です。

恒星は質量が大きいほど激しく核融合反応が進みます。そのため重い星は寿命が短く、軽い星ほど寿命が長くなります。太陽の大きさでは寿命は約100億年と言われ、現在で寿命の約半分をすぎたあたりと言われています。

また太陽の活動には周期があり、活動が強くなると、太陽風にのってやってきた電磁波などにより磁気嵐などが起きます。生物の進化に太陽活動は影響を及ぼしたかも知れません。

太陽は膨大な光と熱を発する天体です。地球に昼が訪れ、地表が暖められるのは、太陽からの光とエネルギーによるものです。太陽なしでは、地球は暗黒に包まれた冷たい星に過ぎません。太陽無しに現在の地球と生命の姿はあり得ません。

 

B  地球の誕生

太陽の周りを物質が回転するうち、密度の高いところから惑星が作られていきました。

ガス成分は太陽風で吹き飛ばされるため、太陽に近い部分では密度の高い原子を中心とした惑星となりました。水星・金星・地球・火星は固体成分が中心で、木星よりも遠い星はガスが中心成分となっています。

地球で大気の成分が残っているのはある程度の大きさまで成長し、重力が大気をつなぎ止めておくことが出来たからです。

また太陽との位置も微妙でした。太陽にもう少し近いと地球は灼熱の温度になり、もう少し遠いと冷えた星になっていたと言われています。

ただし、惑星の並ぶ距離にそれぞれ法則があるとの説もあります。もしかしたら地球はあるべくして今の場所を回っているのかも知れません。

 原始地球は、成立の過程で互いの重力によりたくさんの隕石が衝突しながら、その大きさを増していきました。

地球がだいぶ形を成し初めてから1億年ほどたった頃、今の火星と同じ大きさほどの星が地球と衝突しました。「ジャイアント・インパクト」と呼ばれる出来事です。

その時に地球のカケラがはがれて出来たのが月といわれています。月は地球の約1/4の半径を持つ大きな衛星です。

月自体には生命の証拠は見つかっていませんが、重力により満ち引きを起こしたり生物の進化に少なからず影響を及ぼしてきたと言われています。

 しだいに隕石の数が少なくなり太陽系の中がすっきりしていきます。今でも火星と木星の間には隕石の元となる小惑星がたくさん漂っているそうです。

 原始地球は太陽からの太陽風や電磁波にさらされ、大気もありません。激しく隕石が衝突し地表が煮えたぎる文字通りの灼熱地獄です。生物が誕生するのはまだまだ先の話になります。

 

2.海と大気の形成

@地球表面の変化

 

原始地球は今のような青い生命の星ではありませんでした。隕石が頻繁に衝突すると、その運動エネルギーは熱エネルギーに変換されます。原初の時代、大地は高温に煮えたぎるマグマの海でした。
 やがて、岩石成分の中に含まれる水分と二酸化炭素が大気中に放出され、大気が形成されていきました。
大気の成分は二酸化炭素、一酸化炭素、窒素、水蒸気が中心でした。

 

 

地球が出来た当初は二酸化炭素濃度は現在の数十万倍あったそうです。酸素はほとんどありません。
 この頃の空は今のような青色ではありませんでした。二酸化炭素が波長の長い光を吸収し、空はオレンジ色に光っていました。
 水蒸気は隕石としてもたらされた岩石成分から供給されました。地球の気温が徐々に冷えてくると、大気中に大量に含まれていた水蒸気は雨となって降り始めました。
 原始の雨は硫化水素などの酸性物質を多量に含んだ酸性雨だったと言われています。
 温度を下げる助けをしたのは、雨と、それによる約40億年前の海の形成です。降り続く雨により地球表面は冷えていき、地表が固まると水がたまり海が形成されました。
 海水は地表の岩石成分により中和され、大気中の二酸化炭素を溶かし込んでいきます。また二酸化炭素は石灰岩としても海底に沈んでいきました。二酸化炭素濃度の低下により、温室効果はしだいに減っていきます。

 

A.地球内部の変化
 地球が出来て初期の段階で、地球を形成する重い部分はしだいに内部に沈んでいき、逆に軽い部分は上部の方に浮き上がりました。
 一番重い部分は鉄です。今でも地球の核(コア)の部分はニッケルで構成されています。
 核は液体鉄の外核と、固体鉄の内核に分かれます。
 外核の鉄の流動により、地球に磁気が形成されます。また液体鉄が固体鉄になるときに放出される熱により、地球内部から熱が作り出されます。
 原始地球においては、地球の核に存在するのは、まだどろどろの液体鉄だけです。
 核の上側は、かんらん岩を主成分としたマントルです。現在でもゆっくり流れることによりその上のプレートの移動に影響を及ぼしていますが、原始地球においてはその流れはまだ整ってはいなかったようです。
 一番表面の部分は地殻成分です。地球全体から言えば、まるで卵の殻のように薄っぺらな層をしています。海ができた時点では、ところどころに陸地があるだけで、まだ大きな大陸はありませんでした。

 

3.原始生命の誕生

生命を構成する成分がどこから作られたかには、いくつかの説があります。隕石から供給された説、大気中のメタンや二酸化炭素に放電が起こり作られた説、海の満ち引き時に汐だまりに生命のスープがたまり、アワが作られた説などです。
 今一番信憑性が高いとされているのは、海底火山の噴出口付近の高温・高圧の環境の元で、メタンやアンモニアから硫化水素の還元でアミノ酸などの有機物が作り出されたという説です。

 いずれにせよ最初はアミノ酸が化学的にくっついたり離れたりしているだけだったものが、次第に自己の形を持ち増殖することが出来るようになり、生命というものになっていったようです。フラスコ内の実験でも、ある種の有機物が自分の周りと物質交換をしたり、粒子を成長させたりすることが確認されています。分かりやすいところでは、遺伝子もないのに増殖をできる存在としてプリオンのようなものもあります(厳密には、隣の正常タンパク質を異常タンパク質に転換させるので、"自己の複製"ではありませんが)。
 いろんな有機物の種類が形成される中で、より効率的に増殖できる能力を持ったものが増殖していき、その子孫を殖やしていきました。
 「より、増える能力を持ったものが増えていく」という法則は、今に至るまで、生命の進化を貫く、基本的な原理となっています。

最初の生命は地球誕生から8億年たった、約38億年前頃に誕生したといわれています。海の誕生が約40億年前といわれているので、海の誕生からまもなく生命はできたことになります。

 その生活場所は海底火山の噴出孔付近と言われています。
 地表には有害な紫外線などが降り注ぎ、生命が住める環境ではありませんでした。最初の生命は光の届かない海の奥底で噴出口から出される硫化水素を分解することによりエネルギーを得ていたようです。

 

 

 

 

 

現在でもその末裔と思われる細菌類が存在します。海底の噴出口付近の数百度に達する環境の中で、大昔と変わらぬ暮らしをしている生命も地球にはあるのです。
原始の生命は一つの細胞でできた単細胞で、核膜を持たず遺伝子が細胞膜の中に存在する原核生物でした。必要最低限な遺伝情報しか持たず体も小さな彼らは、硫化水素を食べながら細々と暮らしていました。
生命にとって、まだ光は遺伝子を傷つけ命を奪う存在です。暗闇の中で光を避けながら、次の段階に進むにはまだ気の遠くなるような時間が必要です。

 

4.光合成生物の誕生と磁気圏の成立

@光合成生物の誕生


今から約32億年前に、それまでと異なる、ある特徴を持った生物が誕生します。
それは、光を使用することによってエネルギーを作り出す生物です。今までは生命を傷つける存在だった光をエネルギーとして使い、周りに無尽蔵にある二酸化炭素と反応させることにより硫化水素を使うよりも効率的にエネルギーを得られるようになったのです。

 

 



それまでの生命は硫化水素など環境中にある栄養分を分解するだけでしたが、自ら光合成でエネルギーを作り出すことにより、噴出口以外の場所でも生きられるようになりました。
シアノバクテリアと呼ばれる彼らは、光合成を行う細菌です。登場してしばらくは数が少ないままでしたが、しだいに数を増やしていくと、大量の酸素を放出するようになり、地球の環境と周囲の生命に多大な影響を及ぼしていきます。
 自分でエネルギーを作り出す仕組みを獲得したことにより、生命はより大きなエネルギーを獲得し、細胞を大型化させることが出来るようになります。

A磁気圏の成立

27億年前になり、環境に一つの変化がありました。地球内部のマントル及び核の動きが整い、核の鉄が磁石のように働き始め、磁気を放出し始めました。地球を磁気のバリアが包むようになったのです。
 それまで太陽風により地球まで到達していた生命に有害な荷電粒子(主に陽子・電子)は、磁気圏のバリアに遮られるようになりました。

 

このことは、海面近くの光が届く環境でも生命が存在できるようになることを意味します。それまでは、有害な荷電粒子が届く環境では、生物の遺伝子が傷つけられてしまい、生存し、増殖することができなかったからです。
 海面近くの環境の危険性が低下したことによって、光合成を行う生物は、より安全に、より活発に、海面近くで増殖できるようになりました。磁気バリアの誕生により、シアノバクテリアの増殖と地球の酸素濃度の上昇のスピードに拍車がかかっていきます。 荷電粒子の存在はオーロラの存在でうかがい知ることができます。磁気圏のバリアで進路を曲げられた電子は地球の極地から磁場内に進入します。
 この時進入した電子が大気中の酸素・窒素原子と反応を起こし光を放出しているのがオーロラの正体です。

B磁場の逆転現象
 地球は今も磁石として働いています。現在北極はS極、南極はNです。方位磁石を向けてN極が指す方がS極です。地球の地磁気の向きは変化しています。メカニズムは不明ですが、磁気の方向や向きは刻々と変化しているそうです。磁気の向きはこの五百万年で30回程逆転しています。磁気の方向も200年前と比べても7度傾いているそうです。計算ではあと10002000年で今の磁気の向きが逆転するとの説もあります。
 ペルム紀末・三畳紀末・白亜期末の大絶滅の前には、数百万年から1千万年以上に渡って地球磁場は完全に消滅し、大量絶滅が終わった後に逆転した磁場が現れてきているそうです。

 

5. 酸素による環境汚染

シアノバクテリアは、光合成により効率的に大きなエネルギーを得る方法を獲得しましたが、それは一方で生命にとってはリスクのある方法でした。
 二酸化炭素を光と反応させることによりその廃棄物として酸素が作られます。酸素は細胞膜や遺伝子を傷つけ生命に害を及ぼす有毒物質だからです。

 それまでに現れていた生物は酸素のない環境でしか生きられない嫌気性の生物がほとんどでした。
 シアノバクテリアによって作り出された酸素は、最初は海洋中に溶け込んだ鉄を酸化させることにより消費されました。
 2720億年前の短期間に、海洋中の鉄は酸化鉄となって沈みました。現在鉄鉱層から得られる鉄は、ほとんどがこの時期に作られたものです。

 

 鉄を全て消費すると、次第に海洋中の酸素濃度が上昇してきました。酸素と触れた生命は傷つき死滅します。生物自らが作り出したものにより、それまで過ごしていた環境が激変したのです。
 環境が変化したとき、その変化に耐えることができない生物は死滅し、絶滅します。それまでの生物は、酸素という毒に耐性を持ったものはほとんどいませんでした。
 酸素は、今でこそ、環境中になくてはならない存在ですが、この頃の生物にとっては、酸素濃度が上昇することは、とんでもない環境破壊でしかありません
 今の人間による環境破壊とは、比べものにならない規模で、最初の生物による環境破壊が行われたのです。
 かくして、生命史上最大の危機が訪れます。

 

6.危機が招いた進化

@細菌の進化と真核生物の誕生
 酸素が増加して環境が変化してきた時点では、生物界には大きく3つのグループが出来ていました

 最初に誕生した生命は自然にある硫化水素などの栄養資源を分解する古細菌です(これには異論もあり、最初に現れたのは真性細菌で、真性細菌が細胞壁を失い、古細菌がそこから現れたとする説もあります)。
 そこから資源のないところでも自分自身で栄養を作り生きていける化学合成細菌・光合成細菌(シアノバクテリア)などの真生細菌が誕生します。
 その増殖に伴い海の底に沈んでいき、たまった細菌の死骸は有機物として新しい栄養源となります。海の底で暮らしていた古細菌の中から、それを食べるために適応してくる原始真核生物が現れます。

 

 真生細菌の進化は自分で栄養を作り出す生産者としての進化ともいえます。それに対し、原始真核生物は他の生物が作り出す栄養に依存する形で進化していきました。
 細菌類は小さな体で最小限の遺伝子を持ち、増殖スピードを最大限にさせる戦略を取りましたが、原始真核生物は栄養を自分の体内に取り込んで消化するために、細胞のサイズを大きくさせていきました。細胞膜の発達と共に次第にの構造がつくられます。核の存在は多量の遺伝子を持つことを可能にします。後に述べるように、核の存在は進化の方向に大きく影響を及ぼします。
 最初、原始真核生物は酸素のない海の底で暮らしていました。
 20億年前頃、酸素が増えることにより、環境が変化します。酸素は生命にとっては恐ろしい毒物です。酸素に傷つけられた生物は死滅してしまいます。海中に酸素が増えるに従い、原始真核生物は酸素の脅威にさらされるようになります。
 しかし、危機にさらされた生命は危機を乗り越えるために次の段階に進化します。
 ひとつめは「酸素分解酵素」です。酸素が遺伝子を傷つけることから自分を守ることが可能になりました。
 さらに重要なのがふたつめの「異なる生命の取り込み」です。この時点において誕生していた細菌の中には酸素を利用してエネルギーを作り出すものがいました。原始真核生物は、細菌を食べるために一旦体の中に取り込んでから消化・吸収をします。その過程で光利用細菌を取り込んだ後、消化せずに自分の体内で生かし続け、酸素の利用をさせるものが現れたのです。
 太古の昔に生命の取り込みが行われていた証拠は、僕達の体の中にもしっかりと残っています。それが現在のほとんどの生物の細胞内に見られるミトコンドリアです。
 ミトコンドリアを得ることにより、それまで毒物でしかなかった酸素を利用して大きなエネルギーを獲得する方法を得ることができました。それ以外にも複数の生命がお互いに取り込み、あるいは取り込まれていきながら激変する環境の中を生き延びていきました。
 酸素に対抗する能力を持てなかった生命は死滅するか、あるいは酸素のない環境で生き延びるかどちらかしかありませんでした。

 今僕たちの細胞の中にあるミトコンドリアは核の中の遺伝子とは別の遺伝子を持っています。その起源ははるか昔、宿主の細胞に取り込まれた別の生命だといわれています。
 また、ミトコンドリア以外にも、べん毛葉緑素など、この時期に異なる生命が合体することによりできた名残が現在の生命に残っています。

 

 

 

 

光合成細菌が出した酸素による環境汚染は、生物に新たな進化を遂げさせます。現在の生物の体の中にミトコンドリアがあることは、この世界に残っている生物は全て、かつて幾度もの激変をくぐり抜けた生命の子孫である、そのことの証拠でもあるのです。
 別の生命を取り込み、その生命が持っていた特異な機能を自分のものにすることによって、弱点を克服すると共に新しい能力を持つことが可能になりました。
 こうして約20億年前に本格的な真核生物が誕生します。大きな体に大きなエネルギー、そして様々な機能と膨大な遺伝子を持てるようになった彼らは、その後、進化の表舞台に躍り出ることになります。
 細菌類は現在でも衰えることなく繁栄を続けてはいますが、最小限の遺伝子で生きることを選択したため、大きな形の変化はしませんでした。


A「動物」と「植物」の誕生
 光合成細菌を取り込んで自分の中で光合成をするようになった真核生物の中から、植物へと枝分かれをしていくものが現れます。
 もともと、「光エネルギーを栄養分に作り替える」という能力は細菌が持っていたものですが、その細菌を取り込むことにより、光合成の能力を持った真核生物が誕生してきたのです。
 葉緑素を持たなかった(もしくは持っていたが途中で放棄した)真核生物は積極的に栄養を取り込んで行かなくてはいけないため、運動能力を発達させていきます。
 植物は動けないのではなく、動かなくても栄養を得ることが出来るので、運動する必要がないのです。35億年前に細菌が始めた光合成は、この時から真核生物にもできるようになり、そこから生まれた植物は独自の進化をしていくことになります。
 環境が今ふさわしいものであれば変わる必要はありません。そのままの形で生きていくことが可能であり、またそれがふさわしいからです。生命は危機に直面し、それを乗り越えることにより新しい段階に進んだのです。危機に直面し、環境に適応した姿に変われなかった生命は、進化の表舞台からは姿を消していきます。

 

 

 

7.地球の冷却

@地球の冷却
 地球が出来てまもなく、二酸化炭素が多く含まれる大気に覆われていた時代には、温室効果と地球自体の熱とにより、地球は非常に熱い星でした。
 地球を高い濃度で覆っていた二酸化炭素は、時間の経過と共に、その濃度を下げていきます。
 最初は化学的な反応によるものです。海中への取り込み石灰岩の形成により二酸化炭素が減らされていきました。
 そして、やがて生物が地球上で数を増していくと、生物による影響が大きくなってくるようになります。二酸化炭素を消費する生物の代表は、太古においてはシアノバクテリアですが、27億年前頃からシアノバクテリアが増殖してくると、その光合成により二酸化炭素が消費されます。
 また大陸の成長と分裂の繰り返しも二酸化炭素濃度の変動と気温の変化に密接に関わっています(
後述)。
 パンゲア以前の超大陸としては、約19億年前のヌーナ超大陸、約107億年前のロディニア超大陸が知られています。
 超大陸が成立するときは、火山活動が減り、二酸化炭素濃度は減少します。
 二酸化炭素の減少と共に、その温室効果は減っていき、次第に地球表面の温度は下がってきました。
 原初においてオレンジだった空は、大気中の酸素濃度が増加するにしたがって、現在のような青い空に変わりました。酸素の増加で空が青くなる理由は、「酸素は、波長の低い青い側の光を散乱させる性質を持つから」です。

二酸化炭素が減るということは地球から熱が逃げやすくなるということでもあります。
 

7.56億年前には地球は大きな氷河期に突入しました。気温の低下により海洋表面は凍り付きます。
 地球の表面を氷が広く覆うようになると、太陽の光は氷に反射されてしまい、熱エネルギーが地球に吸収されなくなってしまいます。

 

 

 

 

 温暖化効果の減少と太陽光の反射によって、地球表面は加速度的に氷に覆われていきます。
 それ以前にも地球は何度か氷河期を迎えていたそうですが、赤道まで凍り付くことはありませんでした。
 この時の氷河は赤道周辺まで至り、あたかも地球が雪球のようになったと言われています(スノーボールアース)。
 表面を氷に覆われた地球において、生命は海底深部や地球深部で細々と再び環境が整うのを待っていました。

A火山活動と地球の温暖化

 氷に包まれれば光も海中に差し込みません。生命は再び絶滅の危機に瀕しました。
 それを救ったのは火山活動です。地球自体の温度が下がり、マントルの温度が低下すると、温度の低下したマントル内には海水が入り込みやすくなりますマントルに入り込んだ水分はマグマを形成し、火山活動を誘発します。

 

 

 

 

 

 

また、大陸の分裂時には活発な火山活動が起こります(後述)。
 火山活動により地球内部からもたらされた二酸化炭素により温室効果が起こりました。大陸分裂時に放出された二酸化炭素により、その濃度は現在の300倍にも達したと言われています。

 またマグマの上昇によって大陸生成がさらに進んでいきます。
地球の核との熱のやりとりはプルームの動きによりなされます。その動きはプレートを動かす原動力となり、大陸の生成と分裂、気候の変化など生命に様々な影響を及ぼしています。

 

 

 

 

 

 


 

8.生物進化の前夜(先カンブリア紀)

@.種の多様化前の環境

 地球の冷却と凍結は生命に危機を及ぼしますが、それが過ぎると次第に大気と気温は安定し、生物が繁栄するための環境が整ってきました。

 生物進化の準備段階として、大陸の合体・分裂の中で「浅瀬」が作られていました。

1
)まず大陸の合体によって大きな大陸が成長していきます。

2
)成長した大陸は地球の冷却により氷河で覆われます。

3
)その後氷が溶け、海水が大陸の上に進入すると広い浅瀬が誕生します

 

 

 

 

浅瀬は生物の繁殖に適した環境となります。
 浅瀬においては光が下まで届き死滅した生物は沈んで有機物を堆積させ、大陸から河川により多量のミネラルが運ばれてくるからです。 
 また、大陸の形成により、堆積岩の中に有機物が取り込まれていきました。今まではバクテリアによる有機物の分解時に酸素が消費されていましたが、分解による酸素消費が減ったため約6億年前頃酸素が急激に増加します。

A多細胞生物の誕生

 最初は小さな単細胞として誕生した生命は、利用できるエネルギーの増大に伴い細胞を大型化していきます。多細胞の生物は約10億年前頃誕生したと言われています。
 単細胞生物の中にも、お互いがくっつきあって生きているものもいました。やがて最初から多細胞として複数の細胞で一つの生命を構成するものが誕生します。
  よりたくさんのエネルギーを扱い体を大型化させるには、一つの細胞で全てをまかなうよりも、お互いにまとまりあい機能を分化された方がより効率的です。最初は体を支持する細胞と栄養の吸収・消化をする細胞の2つに分化したと思われます。そこからしだいに、筋肉や神経など、新しい組織と新しい機能が作られていきます。
 機能を特化させることにより、体の仕組みは複雑になっていきます。細胞機能を分化させた生物は単細胞では生きていけなくなります。


 


Bエディアカラ生物群
 約6億年前の先カンブリア紀に海洋中でエディアカラ生物群と呼ばれる生物群が繁栄をしました。厚さが1mmの扁平な形をする生物が主ですが、動物なのか植物なのかすらも分かっていません。今の所、現存する生物との関連性は疑問視されています。

 

このころの生物は外骨格もない柔らかい体の生物ばかりであり、化石も余り残りません。
 どんな生物がいたのか、どの生物から次の世代の生物が生まれていったのかは未だ謎です。
 生命が進化をしていく方向を模索していた段階だったのかも知れません。現在の生物の直接の祖先と見られる生物は次のカンブリア紀で登場してきます。

 

 

9.  カンブリア紀の大爆発(古生代前半)

@ カンブリア紀の大爆発

55千年前、それまで数十数種しかなかった生物が突如1万種もに爆発的に増加しました。この時代、奇妙きてれつな形をした生物=バージェスモンスターが多数現れ、さながら地球上が生命の大実験場でした。

 様々な形態を持った生物が現れる中から現在まで続く基本的な生命の形ができあがりますが、その土台は、カンブリア紀が始まる前の、先カンブリア紀の時代にすでにできあがっていました
 先カンブリア紀には、それぞれの系統の祖先が、それぞれの体のメカニズムを持つに至ってはいたのですが、外見上はほぼ違いがなく、似通った姿をしていました。
 いろいろな体のつくりを持っていた生物が、外見的にも多様になった、というのがカンブリア爆発でおこったシナリオのようです。
 外見的な多様性を持つに至ったきっかけは、まだ明らかにはなっていませんが、ひとつの説としては、生物にとって最も重要な感覚器である「」を持つ生物が誕生したことによって、食う食われるの食物連鎖の流れが加速し、その淘汰圧が生物をして多様な姿を持つに至らせた、という考えがされています。 このころ固い殻を持った生物が多数誕生しています。食べられる心配がなければ身を守る必要はありません。それまでのそれぞれがばらばらに生活していた時代から食う食われるの捕食関係ができあがってきた事を意味しています。多種多様の生物が登場し、生態系ができはじめます。

 

 

A 種の多様化の背景
 多様化することができた背景には、細胞が核膜を得たことが大きく貢献していると言われています。
 遺伝子情報が細胞の中にまばらに存在している原核生物に比べて、核膜をもった真核生物では、よりたくさんの遺伝情報を持つことが出来ます。
 原核生物は生きるのに必要な最低限の遺伝子だけしか持てませんが、真核生物はかつて使っていた遺伝情報や今は使わないけども将来役に立つかも知れない遺伝情報などをストックしておくことが出来ます。
 また9億年前頃から有性生殖というメカニズムが現れたのも重要です。
 有性生殖においては、二つの個体が遺伝情報を半分ずつ出し合うことにより、2つの個体から自分たちとは微妙に違う個体が作られます。
 無性生殖を行う生物では、細胞が二分裂し、自分と同じ個体が増えていくだけです。増殖スピードははるかに速いのですが、同じ遺伝情報であるため、分裂を繰り返しても、変化はあまり見られません。
 有性生殖を行う生物では、遺伝的な揺らぎの中で、少しずつ異なる形質の子孫が生まれ、その中から環境により適した形質の子孫が増えていくことができます。
 生物は、これまでの「増える」という原理に加え、もうひとつの柱である、「環境の変化に合わせて自分の形を変えていく」という原理を確立させました。
 それに加え、原核生物では染色体を1本しか持っていないため遺伝子の変異=形の変化ですが、真核生物では2持っているため遺伝子変異の形質への影響を減らすことが可能です。発現しない部分を持っておくことが出来るのと合わせて、遺伝子の中に多様性を持っておくことが出来るようになりました。
 それらにより生物はいろんな進化の可能性を模索することが出来るようになりました。

B 脊椎動物の誕生

 

バージェスモンスター達はやがて進化の途中で姿を消しますが、生き残ったものの中から新しい生物が進化します。中でもこの時期に生まれた生物の中に体の中に脊索を持つものがいました。この生物から後に脊椎動物が誕生します。

 

 

 

C  魚類の誕生

 古生代前半の間に魚類が出現します。最初の魚はひれも顎もなく、魚としては不完全でした。
 当時の海の覇者はオウムガイというイカの祖先であり、魚が海の覇者となるのはもう少し後になってからです。

 

 

 

10.陸上への進出(古生代前半)

@ 生命の地上進出と当時の環境

大気中に増え、成層圏まで達した酸素によって5億年前にオゾン層が形成されました。生命に有害な紫外線は防がれるようになり、生命が地上で生き延びられる環境が整ってきます。先に陸上にあがったのは植物でした。脊椎動物が陸上に進化するのはもうすこし後になります。

 

 

 活発なプレートの活動によって大陸同士はぶつかり合い何度も成長・分裂を繰り返していました。
 約4億年前にも2つの大陸がぶつかり大きな山脈が出来ました。そこにはヒマラヤ級の山脈ができ、そこで降った雨は大きな河川を作り、海以外の新たな生育環境をつくりだしました。

 

 

A 植物の地上への進出
 陸の上は、海に比べ、植物にとってもより生育には厳しい環境でした。海の中では単純な構造で海の上を漂っていれば生きていることが出来ました。陸上ではそうはいきません。重力に耐えられるだけの強靱さと、水分を吸収し輸送する仕組み、etcが必要です。植物は自分の体の構造を適応させながら、河川沿いに陸地に進入していきます。
 この頃にはいくつかの藻類が現れていました。それぞれが持つ色素の色によって緑藻類、褐藻類、紅藻類、・・などいくつかの種に分かれます。色素の色の違いは光合成で活用する光の種類の違いです。
 緑藻類が持つ色素(クロロフィル)は広い波長の範囲の光を利用することができるため、水面近くで生活します。紅藻類の持つ色素(フィコビリン)は水面近くで吸収された残りの波長の光を使って光合成を行うため、緑藻類よりも水深の深いところで生活をします。
 従って、陸上へ進出する植物は緑色の色素を持つ緑藻類から現れることになりました。現在の森が緑色をしているのは、緑藻類から陸上植物の祖先が現れたことの結果です。
 紅藻類から地上進出が行われていたとしたら、もしかしたら、現在の森林は赤い色をしていたかも知れません。
 約5億年前頃からコケ植物、続いてシダ植物が水際に沿って陸上に進出します。

 

4
5千万年前頃に誕生したシダ植物では、葉・茎・根のしくみがしっかりし、土の上でも暮らせるようになりました。
 しかし水分運搬の仕組みはまだ不完全であり、しかも繁殖においては水に依存する部分があったので、まだ水の豊富なところでしか生活できず、内陸に進出することは出来ませんでした。

 

 

 


 




B 昆虫類の地上への進出

植物の上陸に続き、約4億年前頃から昆虫類も地上に進出します。
昆虫類は脊椎動物よりも約4000万年早く陸上に進出することが出来ました。

 

 

 

 小さな体と発達した外骨格が陸上での生活に早く適応することを可能にしたようです。
 彼らの呼吸方法も、陸上に進出する上でほぼそのまま用いることができました。昆虫類の体の側面には、気門という穴が開いています。そこからは気管が体中に張り巡らされ、体中の組織に直接酸素を届けています
 水の中にいる間は、酸素を含んだ水を気門から取り入れることで呼吸をしていました。陸上に出ても、水を取り込むか、空気をそのまま取り込むかの違いがあるだけでその仕組みは、ほぼそのまま用いることができました。
 脊椎動物では空気中の酸素を取り込むための仕組みをいちから作り上げないといけませんでした。ただ、その「体の組織に直接酸素を送り届ける」という仕組みは、「体に酸素が供給できる大きさまでしか巨大化できない」という制約にもなります。
 現在では、昆虫は比較的小さな体をしていますが、過去の酸素濃度が高い環境においては、今よりも巨大な姿をしていた時代もありました。
 現在でも昆虫類は地球上で繁栄を極めており、500万種以上の種類があると言われています(ほぼ毎日新種が見つかっているそうです)。ちなみに現在のほ乳類は4000だそうです。昆虫はずば抜けた環境への適応力を持っています。

C 魚類の川への進出
 脊椎動物では約4億年前に、まず海の生活でオウムガイに圧迫されていた魚が川に進入してきます。
 淡水域は浸透圧差のせいで細胞が破裂し、住むにはリスクのある場所です。また海水中と違い、カルシウムなどのミネラルも希薄でした。魚類は淡水域へ進出ための適応と変化を進めていきます。
 そして、浸透圧差を克服するために腎臓を身につけ、ミネラルを補給するために脊椎を発達させました。また、雨の降らないときに川が泥地になることもしばしばしばだったため空気から直接酸素を取り込むための肺を作ります。これは後に陸上へ進出するための基礎となりました。
 魚類はえらやひれを発達させ運動能力を向上させていきます。淡水中に適応する中で体を変化させた魚は、いつしか運動能力、適応能力において、オウムガイを凌駕するようになっていました。
 やがて河川で体を発達させた魚類の一部は海に戻り、海の覇権をオウムガイから奪っていきます。

 

D  脊椎動物の地上への進出

 水辺に植物が進出すると、倒れて水中に沈んだ木は水中で折り重なりあい、ジャングルのように入り組んだ「水中の森」を形成します。
 すると、その環境に適応し、ひれを倒木の中を足で蹴って進むための四肢に作り替えたものが現れました。

四肢の原型は最初、陸上を歩くためでなく、水中で有利に生きるために発達していったものです。発達した四肢は陸上を這うことにも用いられるようになり(外適応)、皮膚や呼吸のしくみも、徐々に陸上生活により適応したものに作り替えられていきました。
 それまでの魚類も、原始的な肺を持ってはいましたが、空気中で呼吸するためにより発達した肺呼吸を行うようになります。現在見られるふつうの魚の祖先も肺を持っていましたが、肺としては使用しなくなり、その名残が浮き袋として残っています。
 陸上で肺を進化させた僕達の祖先は、陸上に出るために肺を進化させたのではなく、陸上に進化するに伴い、その適応の結果として、肺が進化していったのです。
 脊椎動物で陸上への進出を成し遂げたのは、魚類の一部から新たに出現した両生類の仲間です。
 約36000万年前に両生類は誕生し、後の爬虫類、鳥類、ほ乳類へ進化する元になっていきます。
 陸上への適応は乾燥と重力に対する適応でもあります。両生類はより乾燥に強い皮膚を持ち、四肢で体重を支えることが可能です。内臓を守るために肋骨もしっかりしたものになりました。
 しかしまだ乾燥には強くなかったので水辺を離れることは出来ませんでした。現在でも両生類の生態は半水半陸であり、幼体時にはえら呼吸、成体から肺呼吸を行います。卵はからを持たないので水中に産む必要があります。
 脊椎動物が完全な陸上進出を果たすのは次の爬虫類からです。
 植物・動物が地上に現れることで、それまで荒れ地でしかなかった大地は次第に緑に覆われ、豊かな生態系を作っていくことになります。

 

11.ペルム紀の大絶滅と超大陸の出現

@ ペルム紀の大絶滅

 生命誕生から現在まで、生物は何度かの大絶滅を経験しています。中でも古生代の終わりに起こった大絶滅では当時の種の大半、特に海洋中においては約96%の種が絶滅する大きなものでした。有名な三葉虫も、このときに絶滅します。
 そのころ地球気温の低下により水分が氷河となり、海面が低下して海中の酸素濃度が低下したとされています。
 大絶滅は、生命に大打撃を与えます。
 しかし、それでも生物は絶滅はしません。生き残った生物から空いた生活環境に向け、次の世代の生命が進化してきます。
 そして、これ以降も生物は繁栄と絶滅の歴史を繰り返していきます。

A 超大陸パンゲアの出現

 マントルの活動が引き起こしたプレート移動により、それまであった大陸が合体し、超大陸パンゲアが出現しました。
 約4億年前から合体が始まり、中生代の開始頃の25千万年前にパンゲアは完成します。

 パンゲアの内海は
テチス海と呼ばれ、動植物が暮らしやすい環境の浅瀬となりました。そこに繁栄した生物の残骸は海底に沈み、現在は石油に姿を変えています。現存する石油は約32億年前に出来たものが多いと言われています。

パンゲアは16千万年前頃から再び分裂を開始し、大陸は現在の場所・形に近づいていきます。これ以後、地域毎に独自の生物が進化していくことになります。
 大陸が分裂していく過程では活発な火山活動が起こりました。それに伴って放出される二酸化炭素により、中生代中期は現在よりもずいぶん暖かかったと言われています。現在の地球の平均気温は15℃ですが、その時期には23℃程であったと言われています。

 

 

 

補足 大陸の成長と分裂と気温の関係

 

大陸の成長と分裂は規則的に起こっており、地球内部のプルームの動きと密接に関わっています。

1..マグマと地殻の生成
 大陸地殻は花崗岩、海洋地殻は玄武岩が主成分です。前者はマグマがゆっくり(15万年くらい)かけて冷えていったときに生成され、玄武岩はマグマが急激に冷えて固まったときに生成されます。
 マントルから、マグマが地上に出てくるところは3種類あり、日本のようなプレートの落ち込み間際にある孤状列島、ハワイのようなプレートを突き破って出てくるホットスポット、プレートの生成源で海の中にある海嶺です(アイスランドでは地表に出ています)。
 火山活動が活発なときにはマグマから二酸化炭素が放出されるために、平均気温が高くなります。

2.
大陸の成長とプレートの落ち込み
 玄武岩はプレートの落ち込みによりマントル内に引き込まれていきますが、花崗岩からなる大陸地殻は比重が軽いため、沈み込まず、くっついて成長していきます。

 大陸が成長すると、その下は古い地殻が多くなり、冷えて沈み込む流れとなりコールドプルームが発達します。沈み込みにより海洋地殻が引っ張られて行くため、ホットプルームの位置と海嶺の位置がずれていきます。
 しだいに火山活動が低下してくるので、放出される二酸化炭素は少なくなり地球の気温は低下します。

 

3.プルームの吹き上げと大陸の分裂
 マントル内に落ち込んだ海洋地殻はすぐにマントル下に落ちず、マントル内にたまります。たまったマントルが一気に落ち、マントルと地球核の間のD''を壊すと、ホットプルームの上昇を起こします。その時に外核の流れが乱されるので磁場が一旦停止します
 大陸の分裂中は活発な火山活動により気温は高くなります。そして大陸がまたひとつにまとまってくるころには寒冷となるというサイクルを繰り返します。

 

 

 

 

 

 


 今までに超大陸は19億年前のヌーナ超大陸、10億年前のロディニア超大陸、7億年前のゴンドワナ超大陸、2.5億年前のパンゲア超大陸と何度も生成と分裂を繰り返してきているそうです。そのたびに地球は温暖化と寒冷化を繰り返してきているそうです。ちなみにあと2億年ほどするとアジアを中心とした超大陸が作られ、太平洋はなくなって大西洋が唯一の海洋となるそうです。
4.
気候の変化と生命の関係
 寒冷化は地球上に氷河を作り、海水面を低下させます。陸地の生成によって出来る浅瀬は生物の進化に都合のよい場所ですが、海水面の低下による干上がり=絶滅の危険性と隣り合わせの場所でもあります。
 また、寒冷化は環境の変化として全生命に降りかかります。進化は環境への適応と繁殖を目指します。温暖な環境の元で繁殖できるように進化(不要なものの排除)をした生物はその時代では爆発的に数を増やしますが、環境が変化したときにそれに適応する能力を失っていた種はその時点で根絶してしまいます。
 そこで常に生き残ることが出来るのは、爆発的な繁殖力よりも環境に適応する能力を優先させた、どちらかというと辺境に押しやられていた種だけです。環境の激変を生き延びた種から、次の時代への種が適応拡散していくことになります。

 

12..裸子植物と恐竜の繁栄

@裸子植物の誕生と繁栄

 シダ植物は一応陸上への進出を果たしましたが、まだ水際でしか繁殖できませんでした。繁殖方法もまだ胞子を用いた原始的なものでした。

 古生代末期の29000万年前頃に裸子植物が誕生します。シダ植物よりも水分の取り込み・輸送の能力が進化しており、また繁殖方法も花粉を風により飛ばして授粉し、種子をつくるというものでした。

 種子は
乾燥に強く、遠くに移動することが可能です。これにより内陸まで生存範囲を拡げられるようになりました。

 裸子植物はイチョウ・ソテツ・針葉樹などで、花は雄・雌に分かれます。花びらや果実はありません。
A .恐竜の誕生と繁栄

爬虫類は両生類よりもさらに陸上生活に適した体の構造を持っています。肌は乾燥に耐え、卵も硬い殻に包まれるので陸上に産み、孵化することができます。内陸に進出した裸子植物により食料に困ることもありませんでした。
 恐竜は爬虫類と同じ頃に誕生しますが、爬虫類と違い体温を一定に保つことが出来る恒温動物でした。また現在の爬虫類は足が体の横に配置し、のっしのっしとしか歩けませんが、恐竜は足が骨盤の下にまっすぐ配列する構造を持っていました。
 恐竜は、恒温性以外に、酸素補給を効率よく行うための「気嚢システム」を持ち、その運動能力は高かったと考えられています。
 これは、骨や体腔にある気嚢を拡張・収縮させることにより、吸気時・排気時の両方において、肺で酸素交換することができるシステムです。
 一方、ほ乳類では、酸素の取り込みは、吸入された空気によって肺胞が満たされている間だけです。
 このシステムは、現在のほ乳類の呼吸方法を凌駕しているものであり、そのシステムは現在も鳥の呼吸手段として受け継がれています。
 より大型化する裸子植物と共に恐竜も大型化していきました。大陸中を恐竜が我が物顔で闊歩しました。海の中へも進出していき、空を飛ぶ恐竜も現れました。中生代はまさに恐竜の世紀でした。

B ほ乳類の誕生

 恐竜とほぼ同時に単弓類(哺乳類型爬虫類)という、体毛を持ち体温調節に優れた種が登場しました。彼らは中生代の初期に絶滅しますが、そこからほ乳類が進化して現れます。子供を産み、乳で育てる新しい繁殖方法を持った生物です。

恐竜に比べ小さな体しか持たない彼らは恐竜に隠れ細々と暮らしていました。
 恐竜が活動していない夜間に動く、夜行性動物であったと言われています。夜に適応する生活の中で、ほ乳類は優れた目を身につけていき、それと同時に、大脳を発達させていきました。
 体温調節が出来ることは良いことずくめのように見えますが、気温の温暖な時期には変温動物よりも不利な点があります。体温調節のために多大なエネルギーをさく必要があるからです。
 変温動物は体温調節をしない分、成長と繁殖によりたくさんの力を注ぎ込むことが出来ます。温暖な時期には有利でしたが、気温が低下すると活動が低下するということが、やがて寒い時代では不利に働いてくるようになります。
 哺乳類が全盛を迎えるのは寒い時代の到来の後です。


 

C 鳥類の誕生

 白亜紀には恐竜の中の竜盤目から、鳥の子孫が分かれました。
 最初は、鳥は「
羽毛を持った恐竜」として誕生しました。

 最初、羽毛は、飛ぶためではなく、
保温のために備わってきたと考えられています。

次第に羽根が立派になり、坂道を駆け上がったり、木に登るときに役立つようになったものが、羽根の発達と共に、やがて「飛ぶ」という行動のためにも用いられるようになった、というのが鳥が翼を持つに至ったストーリーとして考えられています。
 鳥は、「飛ぶために」翼を持つようになったのではなく、羽根を発達させ、「飛べるようになったから」飛んだのです。
 進化においては、新しい機能は「目的発達」ではなく、「発達結果」として備わります。
 最初に別の役に立っていて、まだ新しい機能を果たしてはいないけれども、新しい機能をはたすための準備段階となっている段階が「前適応」の状態です。
 魚類が陸上に進化する前に、まだ歩くには至らないけれど、ひれを水中で四肢のように用いていたという状態も、それと同じ前適応の状態です。
 前適応の状態になり、環境において新しい機能を果たすことが有利であれば、新しい機能が獲得される方向に形態の変化が進み、新しい種が誕生します。
 そして、一旦新しい機能が確立し、飛行という行動に適応するようになると、そこから「よりうまく飛べる形態」がとぎすまされ、空いている生活空間に適応するべく、進化が進んでいきます。
 鳥という、飛ぶことができる動物の誕生の前には、「飛べないけれど、羽根を持った恐竜」が進化していました。
 でも、誤解してはいけないのは、「飛ぶには至らない羽根」であれ、その時点では、その種の生存と存続のためには、有利に働いていたのです。有利だったからこそ、羽根を持っていたのであり、さらに発達していく方向に圧力がかかっていったのです。
 やがて、羽根は翼となり、飛行という行動は鳥の優れた特徴として備わるようになります。
 翼竜の翼に比べ、羽毛は軽くてすみ保温力に優れ、裂傷などのダメージにも強い利点があります。

鳥はやがて、空の覇者となっていき、現在に至ります。


 

13被子植物の誕生と恐竜の絶滅(中生代後半)

@ 被子植物の誕生

 今から13000万年前頃、裸子植物よりもさらに進んだ繁殖システムを持つ被子植物が現れました。
 風任せだった
授粉を昆虫にさせ、また種子の周りに果実を作り食べた動物に種子の運搬をさせるという方法を得ました。
 それまでは捕食者にすぎない存在だった
動物を繁殖のパートナーとして利用するようになったのです。

繁殖を効率的に、そして動物を使うことにより広い範囲に行うことが可能になりました。被子植物は裸子植物から植物の主役の座を奪っていきます。
 現在では被子植物の種類は2530万種あると言われ、新生代に入ってから現在まで繁栄を続けています。
 僕達が普段なじみを持っている植物は多くが被子植物です。その果実を食べておいしいと感じることは植物の生存戦略の結果といえるかもしれません。
 被子植物の誕生は、その後、他の生物の進化にも多大な影響を及ぼしていきます。
 花粉や蜜、果実といった新しい環境要因の出現により、新しい環境に適応する昆虫が多数誕生しました。
 昆虫による授粉は、植物にも有利な圧力となって働くため、より効率的に昆虫を利用する方向に進化が進んでいきます
 植物と昆虫はこの時から、切っても切れない関係として、お互いに影響を及ぼし合いながら進化の歩みを進めていくことになります。

A 恐竜の絶滅

 6500万年前、突然恐竜が絶滅します。直接の引き金は、メキシコのユカタン半島への巨大な隕石の落下とされています。
 それによって吹き上げられた
粉塵が地球を覆い、気温の急激な低下を招いたようです。
 哺乳類は寒さに耐え、生き延びましたが、恐竜は絶滅しました。


 食料の激減に大型化した恐竜は耐えることが出来なかったと言われています。
 一方で、植物相の変化や環境の変化により、それ以前から衰退は始まっていたようです。
 ただ、「恐竜は絶滅した」という言葉には、語弊があります。
 実際には、「僕達がよく想像する、恐竜の姿をした生物は、地球上からいなくなった」ということです。
 鳥は、先に述べたように、恐竜の竜盤目から派生した「恐竜の子孫」であり、系統的には恐竜そのものです。
 中生代末期でおこった絶滅においては、「羽毛のない恐竜は絶滅し、羽毛を持つ恐竜は生き残った」というのが本当の姿です。
 生き残った羽毛恐竜は、進化の過程で姿を変え、現在の姿となっています。
 恐竜は今も生きています。
 恐竜を見たくなったら、窓の外を見てみてください。
 公園でエサをついばむスズメや、空を滑空するトビたち、彼らは紛れもなく、中生代の恐竜の血を受け継いだ、恐竜の末裔なのです。
 羽毛のない恐竜と、羽毛を持つ恐竜の明暗を分けた要因は不明ですが、やはり気候が関係しているのかも知れません。
 中生代の初めからおこっていた、パンゲア大陸の分裂の影響で、中世代前半は温暖な気候が続きますが、中生代後半になると気温が下がってきていました
 特に新生代に入ってからは本格的な氷河期となっています。
 温暖な環境に合わせて適応していた恐竜は、隕石の衝突が無くてもどちらにせよ衰退していたのかも知れませんが、急激な環境の変化がその直接の引き金になったということは可能性が高いようです

 

14.人類の誕生(新生代)

@ 新生代の環境

 新生代では、「恐竜」は地上から姿を消し、代わってほ乳類、鳥類及び被子植物が全盛を迎えました。
 それまで恐竜の影で細々と暮らしていた哺乳類は、空いた生活空間に進出していき、徐々に大型化していきます。
 地球の気温は新生代に入り一旦暖かくなりましたが、約4000万年前頃からしだいに気温が低下してきます。
 特に180万年前から始まる
第四期本格的な氷河期の時代です。
 温度区分において地球上に
氷河がない時期は暖期、ある時期は寒期です。現在は氷河期の中の比較的温度が落ち着いている間氷期です。
 180万年前から現在までに少なくとも4回、寒さの厳しい氷期と寒さの和らぐ間氷期が繰り返し訪れています。

 

7万年前から4回目の氷期に入っていましたが、約1万年前から気温が上昇し始め、現在の後氷期に移行しました。現在では氷に覆われている陸地は全体の10%ですが、1万年前には陸地の27%が氷に覆われており、海面は現在よりも100m低かったそうです。
 現在、人間社会により作り出される二酸化炭素からの地球温暖化が問題となっていますが、その一方で再び寒さのぶり返しが起こる可能性も心配されています。

A 人類の誕生

 人類の祖先はアフリカ大陸から生まれたと言われています。
 大昔にアフリカ大陸の森林で暮らしていたサルは、豊富な食料に囲まれて暮らしていました。
 そこにプレートの移動による環境の変化がおそいます。

 アフリカ大陸の下からわき起こったマントルは大陸を突き上げ、東西に分断する形で大きく隆起を作りました。
 割れ目には海水が入り込み紅海が出来ました。

 今もアフリカ大陸を南北に走り、分断する亀裂が大地溝帯グレートリフトバレー)です。今も大地の亀裂は少しずつ拡がっているそうです。
 地殻隆起による分断後、亀裂の西側は昔通りの森林に覆われた姿でしたが、東側では降水量が減り森林は草原地帯へと姿を変えていきました
 森林に暮らすことが出来たサルは生き方を変える必要もなく昔通りに暮らしましたが、草原地帯での生活を強いられたヒトの祖先は生き残りのために自らを変化させていく必要を迫られました。類人猿とヒトが分かれたのは約700500万年前のことと言われています。
 森の中では樹上生活が外敵から守ってくれました。また食料も豊富にありました。
 草原で生きる生活はまさにサバイバルです。自分の力で外敵から身を守り食料を手に入れる必要がありました。ヒトの祖先は知能を発達させ、道具を使用するという選択をしました。火と道具の支配によって人類はパンドラの箱を開けたと言えます。それは弱肉強食の生態系からの脱却を成し遂げたと言えるからです。

 

 

 優れた知能により捕食者からの脅威を消し去った人間は数をどんどん増していき、生活範囲を拡げていきました。そして広まっていく過程で猿人・原人などさまざまな種類のヒトが生まれました。僕たちの直接の祖先はそのうちの20万年前に誕生した新人だそうです。
 他のヒトを駆逐していったのか自然に淘汰されたのかは不明ですが、猿人・原人は残らず、新人が人類を形成していきます。ペキン原人が中国人になり、ジャワ原人がインドネシア人になったわけではありません。
 地球上には、今の新人以外の人類も誕生しました。中でも有名なのは、203万年前に存在したネアンデルタール人です。
 ネアンデルタール人は、僕達新人とは別の系統の人類です。
 彼らも自分達なりの文化を持ち、新人よりも大きな脳を持っていましたが、声帯の構造上、言葉を話すことはできませんでした。
 彼らはヨーロッパを中心に暮らしていましたが、突然3万年前に絶滅しています。その理由は不明です。
 その他の人類も全て絶滅してしまい、現在、地球上に残っているのは、僕達新人の仲間、ただ1です。人類を極めているようには見えますが、残っているのがただ1種ということを考えると、もしかしたら、種としては絶滅寸前と言えるのかも知れません。
 人類(新人)は誕生後、瞬く間に世界中に拡がっていきます。氷河期には海面が低いので今よりも陸地が広くなっています。陸地を歩いて移動しながら、人類は獲物を求め新しい土地へと進出していきます。
 4万年前にはインドネシアまでは陸続きでした。そこまで歩いてたどり着いたヒトは船で島づたいにオーストラリアに渡りました。
 約15000年前にはベーリング海を渡りアメリカ大陸にも進出しました。1万年前にはアメリカ大陸の南端まで到達します。
 ちなみにハワイに移住した人たちは、ポリネシア地域からさらに海洋に船で進出しすることによって約2000年前頃に移り住んだとされています。
 その後気候は温暖となり、極地の氷が溶けて海水面が上昇します。インドネシアやベーリング海は海で隔てられ、歩行による移動は不可能となります。人類はお互いの存在を知らないままそれぞれの歴史を歩んでいきます。
 ユーラシアとアメリカの人類の再会は大航海時代になされますが、その再会は必ずしも感動に満ちたものではありませんでした。
 天敵のいない人間は世界各地に生育範囲を拡げ、人口も次第に増加していきました。しかしそこで環境の変化が人類をおそいます。
 「寒のぶり返し」です。再び気温は下がり、食料が減少しました。
 当時のヒトは狩猟採集生活を送っていました。気温の低下は採集する植物や獲物になる動物の減少を引き起こします。増加した人口は食料の減少には持ちこたえることが出来ません。
 人類は危機に瀕しました。しかし人類はその危機を知性を用いて乗り越えることに成功しました。
 食糧危機を打破したのが、農耕の始まりです。1万年前以上前に東南アジアでバナナ、タロイモ、キャッサバの栽培が、100009000年前にメソポタミアで麦の栽培が、約9000年前に中国南部でイネの栽培が、約70004000年前にメキシコ地域でトウモロコシの栽培が始まりました。
 人類は、栽培に適した植物を自らの手で育て、それを収穫することにより食糧問題を乗り越えました。またそれは定住生活を可能にし、より多くの人口を養うことを可能にします。
 農耕は人類が食糧危機に追いつめられる形で始められたと言われています。豊富に食料が身の回りにあるなら、必要以上の労働をする必要など無いからです。
 狩猟採集生活をしているときには人口密度は制限せざるを得ませんでした。農耕が始まったことで以前の数十倍の密度で人間が暮らすようになります。
 一方で、人口が増加したことにより、狩猟採集生活に戻ることは不可能となりました。
 農耕生活を送るには治水工事をしなければなりません。そこには優れたリーダーが必要です。また文明の発達と共に財産が生まれ貧富の差ができはじめました。
 貧富の差や貧困は戦争を生むようになります。増加した人口はそれだけの食料生産に支えられなければ生きていけません。気候の変化によって農業生産量が低下すると、人間同士の争いが促されることにつながります。
争いは一方で技術の進歩を促します。
そして人類は歴史の時代へと入っていきます。

 

15.生命とは、進化とは

はるか38億年前、闇の中で生命は生まれました。生命の誕生が偶然なのかそれとも必然なのかは未だ不明です。
 生命は誕生してから何度かの環境の変化を迎えます。そのたび驚異的に危機を乗り越えて現在につながっています。生命の進化はある種、危機に瀕して追いつめられたときの危機打開として起こったとも言えます。

 一方で、今まで生存不可能だった環境に変化が起こり、生存するための空間が生まれると、生命は自らを進化させながらそこに入り込んでいきます。まるで生命全体が何かの意志を持つかのように、つきつけられた問題に対する答えを創り出していきます。
 それはまさに生命というものが自ら次の新しい形を模索しているかのようです。
 新しい場所を求め、そこに進出し、増えよう、生きようとする原動力がなんなのかは未だ不明です。

 地球と生命の歴史を振り返るとき、あらためて感じさせられるのは生命のすごさというものです。
 今地球上にあふれる命は昨日今日で生まれたものではありません。長い歴史を経て、僕たちとは似てもにつかぬ様な姿をしたさまざまな先祖達が築き上げてきたうえに成り立っているのです。後の世代のルーツとなることもなく歴史の闇に消えていった種も数多くあります。

 僕達は、今まで地球上に現れた生命達が累々と積み重ねてきたものの上に立ち、存在しているのです。
 僕たちを含め、今地球上にある生命のルーツを遡れば、全て38億年前に海の中で誕生した生命に行き着きます
 その命のバトンは一度もとぎれることなく僕たちに手渡されています。

 一方、生命の本質は遺伝子にあるとも言えます。それを引き継ぎ、新しいものを書き込む形で生命は進化していくからです。遺伝子は近い種同士ではきわめて似ています。
 たとえば、チンパンジーとヒトの間には、1%の遺伝子の違いしかないと言われています。そしてわずか700万年前にサルと分かれたヒトは、新しい環境に適応するために短期間で自らの形を変えました。
 莫大な量の遺伝子配列の中で、その大半は使われずに眠っているだけです。ヒトの遺伝子配列の数は510万と言われていますが実際に使用している部分は5%に満たないそうです。

 かつてダーウィンは、環境にふさわしい突然変異が選択されて進化が進むと言いましたが、それは現在では否定されています。
 むしろ、遺伝子の中の目に見えない部分に使わないものをため込み、ある程度あたかもバネがのばされたようになったところで一気に形態の変化が引き起こされるという説が支持されています。

 とすれば、僕たちの中にも進化の種が眠りながら「その時」を待っているのかもしれません。そしてこれから次の環境に合わせて進化が進んでいくのか、それとも消えていってしまう「かつての種」になるのかは今の時点では分かりません。

 もしかしたら、生命全体で大きななにかを形成しているのかも知れません。
 目的や行き先をうかがい知ることは出来ませんが、進化の過程で誕生した僕たち人間が、その片鱗を感じ、うかがい知ることが出来たというのはなにか不思議な思いです。

 僕たち、あるいは次の世代の子孫達がそれを解明できるかどうかは不明ですが、今の僕たちにも出来ることがあります。
 それは地球と生命の歴史に正面から向き合い、理解し、感じ、僕達が生まれてこられたことを喜び、生命と地球に感謝をすることです。ヒトは一人で生まれ生きているのではなく、38億年の生命の積み重ねと僕達を取り囲む全ての奇跡に囲まれて生きているからです。
 生命38億年の歴史は、僕達と地球上で生きている全ての生命の中にたしかに息づいているのです。

 



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